大川法律事務所
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裁判員制度と被告人の人権
1. はじめに
   刑事裁判員制度は、2009年5月までに実施される制度であり、市民が裁判を行うという戦後の司法制度には全くなかった新制度である。
 本稿では、導入の経過をそれまでの刑事裁判の問題点を指摘した上で説明し、次いで、裁判員制度の内容を述べ、最後に、もしも裁判員に選ばれたときの心構えについて述べる。
2. 現行制度の問題点と裁判員制度導入にいたる経過
   犯罪者はこれまでどう裁かれてきたか。人が犯罪を起こせば、その人は処罰される。これは、いわばどこの国でも当たり前ともいえる「決まり」である。
 そして、その実現のために、捜査機関や裁判所など色々な制度が設けられている。
 本来は、犯罪者はすべからく処罰され、逆に無辜の者は全て無罪となる、のが正しい。
 しかし、制度は万全とはいえない。そこで、人類の英知として、最大の人権侵害(無辜の処罰つまり冤罪)を防ぐために、「無罪推定原則」「疑わしきは被告人に有利に」の原則が生まれた。その発想のもとに我が国でも憲法、刑事訴訟法等が定められている。
 犯罪事件が発生して、捜査が始まり、やがて犯人が逮捕されたとのニュースが新聞などで報ぜられると、人々の関心がそこで終わることが多い。
 しかし、実際は、そのあと裁判所の関与の下に刑事手続きが進行し、刑事裁判が始まるのであり、そして、その裁判で、有罪となってこそ、その「犯人」は処罰される。
 前述の「無罪推定原則」とは、この有罪の判決を受けるまでは、被告人は「無罪」と扱われる、ということである。また「疑わしきは被告人の利益に」とは、証拠から見て被告人を「有罪」とするのに「合理的な疑い」がある場合は「有罪」としえない、つまりその場合は「無罪」とするというルールである。
 いずれも被告人の人権を守るための大原則である。 
 現在の刑事続きはおおむね以下のように進む。
 犯罪が発生し、捜査が進んで、容疑者が絞られ、やがて被疑者の逮捕となる。逮捕による拘束は最大72時間である。この逮捕後、被疑者に対する取調が始まる。
 72時間で釈放されなければ引き続いて検察官が勾留請求する。被疑者に対する勾留が認められれば、被疑者は最大20日間拘束される。最初の逮捕から数えれば最大23日間である。原則としてこの間に、起訴・不起訴が決まる。
 検察官の起訴によって裁判が始まる。もっとも起訴段階では、起訴状一本主義と呼ばれ、裁判所には証拠は出ていない。
 次いで公判手続が始まる。具体的には、冒頭手続(人定質問・権利の告知・起訴状朗読・被告人弁護人の意見)、証拠調べ、検察官の論告・求刑、弁護人の弁論と進んで、判決となる。
 裁判員制度は、このうち、もっぱら公判手続きについて、担当するものである。
 即ち、裁判の基本構造は変わらず、従前、職業裁判官のみが担当していた所を裁判員として関与するのである。
 従って、刑事裁判の基本構造は変わらない。
 もっとも、裁判員制度が始まると、この公判手続きの前に「公判前整理手続」(簡単に言えば、公判で提出される証拠を、予め整理すること)が、裁判官・検察官・弁護人の間で行われる。
 これは、市民である裁判員を、長く、裁判所に留め置くわけにいかず、そのために、法廷で提出する証拠を予め整理しておこうというシステムである。
 これまでの裁判は専門の裁判官(司法試験に合格し、司法修習を受け、その卒業試験に合格し、裁判官として採用されたもの)のみによって、裁判が行われてきた。
 今回新しく市民関与の裁判員制度が導入された理由はどこにあるか。
 それには従来の裁判の問題点を知る必要がある。
 これまでの刑事裁判にはどのような問題点があったか。突き詰めれば、理想として無辜の者は早期に無罪として釈放すべしところ、実際は、「長期拘束」かつ「長期裁判」かつ「冤罪」ということが生じた。では何故そのような事が生じたか。具体的には以下の問題点が指摘されてきた。
 
(1)
冤罪を生む取調段階での「自白強要装置」の存在である。(「代用監獄」制度、被疑者段階での国選弁護人制度がなかったこと、取調の密室性など)
 かくて、これまでの刑事裁判では、延々と「取調段階での自白の任意性」 を巡って証拠調べ(証人調べ)が行われてきた。
 日弁連が求めてきた「取調の可視化」(取調の全課程を録画・録音などで証拠として残しておくこと)が実現すれば、こういう不毛な争点は生じない。
(2) いわゆる「人質司法」(釈放されたかったら「自白」せよ、とでも言う べき「保釈」などの身体拘束に関する厳しい運用を指す)。「無罪推定原則」からすればこのような運用は明らかにおかしい。
(3) 調書裁判(法廷での証言よりも、捜査段階で作られた「調書」を証拠とした上、その「調書」に重きを置く運用を指す)。法廷に出てきた証人を、反対尋問で突き崩す。普通はそれで弁護側の反証が成功したと思われるであろう。しかし、現実はそうでなく調書が重視される。その不当な現状を識者は「調書裁判」と呼ぶ。
 このような刑事司法の改革の必要性は従来から指摘されていた。
 一方、裁判一般について①裁判自体が市民にとって敷居が高くて利用されず②また裁判自体が長く掛かり③しかもその結果が必ずしも妥当性がない(結果が市民の感覚に合わない)という問題点があり、司法制度自体の改革も行われることになり、その一環として刑事裁判も改革されることになった。
 とはいえ法務省、裁判所が、必ずしも現在の刑事裁判に問題があるととらえていたわけではない。
 更にまた、裁判への市民参与の要請もあった。官僚裁判官が裁判することの弊害(刑事事件について言えば、毎日、毎日、「有罪」の判決を出し、調書重視の中で市民感覚との遊離など)の上、先進国では、市民の参与が普通である。
 そこで妥協の産物としてできたのがこの刑事裁判員制度である。そのため、法律上は「司法に対する国民の理解の増進とその信用の向上に資する」とする、のが制度の目的とされている。つまり国民にとって理解しにくかった裁判を理解しやすいものとするのが目的となったわけである。
 中途半端な制度であるため、従来の、陪審制推進論者からも批判はある。  一方、裁判員制度導入直前の現状において、「保釈実務」の厳しい運用がやや緩和されてきたり、近時、自白の任意性を否定する判決が出るなど、明らかに、裁判員制度導入の影響と思われる事態も生じている。裁判員制度は、刑事裁判を大きく変える可能性も秘めているのである。
3. 裁判員制度の内容
 

 新しく設けられる裁判員制度とは、地方裁判所の刑事裁判に市民が参加する制度である。控訴審(高裁)は従来通り、職業裁判官である。原則として、裁判官3名と市民6名の計9名で構成する。例外として、裁判官1名、市民4名もあるとされている。そして原則として、その9名(例外の時は5名)が一緒になって、公判開始後の(従来、専門裁判官のみがってきた)刑事裁判の一連の審理に臨み、9名で評議を行い、判決を下す制度である。
 扱う事件は、一定の重大事件のみであり、それに該当すれば、被告人には拒否権はなく、全て裁判員制度で裁かれる。
 裁判員事件対象事件は近時のデータをもとにすれば、通常事件の約4.1パーセントと予想されている。

 

裁判員候補対象者は衆議院選挙の有権者
その中から向こう一年間の裁判員候補者を無作為選出する
具体的事件が始まる前に②から更に無作為選出され50人選出される。このときに選ばれた候補者には裁判所からの呼出状が送付される。この呼び出し状に正当な理由無く不出頭すれば10万円の科料が科されることもある。
裁判所に呼ばれた候補者に対しては裁判官から色々と質問される。ここで欠格事由などがチェックされ、排除される事もある。
その後、残ったものの中から、くじで6名を選出する。
   以上の経過を経て選出された裁判員が、前記の通り、公判開始後の刑事裁判の一連の手続きに臨む訳である。
 裁判員には、事件に関する不適格事由や法律家等が裁判員に成れないなどの資格が決められている。仕事で忙しいのは原則として拒否できない、とされているが、その人がいないと事業に支障を来すような場合は辞退できる。
 評議は独特のルールがある。9人同等に議論。結論が一致しなければ多数決となるが、但し、有罪とするには「裁判員、裁判官のそれぞれが一人以上賛成していることが必要」とされている。つまり、裁判員が全員有罪としても、裁判官が全員反対していれば有罪とならない。逆に、裁判員全員無罪の時は「無罪」である。
 平均審理期間は、一日5~6時間で、平均3日くらいと予想されている。  裁判員は、裁判が終わると、自宅に帰れるし、自宅に帰って普通に、新聞、テレビなどで自分が扱っている事件のニュースに接してもよい。但し、裁判の判断の基礎となるのは、法廷での証拠にのみによることは言うまでもない。
4. もしもあなたが選ばれたら
   裁判員制度については反対論もある上、選ばれることに不安を持つ市民も多い。反対論に対してはそれなりに説得力はあるが、だからといって、制度をボイコットするわけにはいかない。そんなことをすれば迷惑するのは被告人に他ならない。その意味では、問題点については、批判しつつも、制度を前提にベストを尽くすしかない。
 市民の方が「不安」に思うのは或る意味でわからなくはない。しかし、もしも裁判員に選ばれたら、その役割を大層に思わないことである。プロの裁判官が3人いるのである。あくまでその批判役と思うことである。
 具体的には、わからない事があったら、遠慮無く「わかりません」と言おう。
 もともとこの制度は①市民の感覚を裁判に反映させる(法の文言からすれば、市民に理解しやすくする)ところにある。つまり、市民の感覚からして、結果もプロセスも、理解できるもので無ければならないのである。それは言い換えれば、裁判員に選ばれたあなたがわかるものでなければならない。
 ②法律的知識は必要はない。普通の市民は知らないし、裁判官が説明するものである。
 ③「人の運命を左右するような事は出来ない」と思わないことである。繰り返すが難しいことが期待されているわけではない。 
 以上①②③のもと、もしもあなたが裁判員に選ばれたら、自分の思うままに取り組もう。「最高裁判所・法務省・日本弁護士連合会」作成の「裁判員制度」というパンフレットがあるがその表紙のうたい文句は「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」である。
 よくわからなかったら「無罪」と言おう。
 何故なら「疑わしきは被告人の利益に」。
 量刑もよくわからなかったら「軽い方」にしよう。
 何故なら「疑わしきは被告人の利益に」。
 わからなくても気にしない。意見を変えるのも自由。裁判員に選ばれたらどうしようと、悩めるあなたこそ是非裁判員になって、悩めるあなたのその感性をぶつける事が求められているのである。
 
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