法友倶楽部の記念誌は10年単位で発行されるため、この記念誌の原稿を考えることは10年区切りで司法や社会の移り変わりを実感する契機になる。 「表現」という側面で見たとき、私は部落差別発言などヘイトスピーチ問題に関わってきたが、その昔との比較を見るとヘイトスピーチなどの差別表現はある面ではより露骨になってきたのではないかと思うことがある。 20年前なら、差別発言自体は許されないとの社会の共通認識はあったと思われる。それゆえ差別表現は「差別落書」のように陰で行われてきた。 しかし今日ではどうか。民族差別発言などは、誤った「表現の自由」のもとに、公然と露骨になされている。ヘイトスピーチ解消法が出来るなどしたとはいえ規制はまだまだ弱い。 さらには自分の考えと違う者への攻撃も凄い。他者の表現を聞こうとする姿勢もない。 このような移り変わりを見ると、人権は拡大しているところか一面では後退しているのではないかとすら感じることがある。 世界的に見ても香港その他「表現」への弾圧も露骨になっている国が少なくない。 「異形の表現世界」ミステリは私の幼少からの趣味である。「異形」というのは誤解を与えがちだが「暗黙のルール」に縛られているという意味である。 怪人20面相、明智小五郎、ホームズ、ルパンと心をときめかしたものである。ポプラ社世代と言えばミステリ・マニアには分かってもらえるだろう。 京大では仲間と友に推理小説研究会を作った。そのオリジナルメンバーや後輩のミステリ作家は私の貴重な友人たちである。 ミステリはある種の知的読み物で有り、作者は、合理的思考の持ち主であることが少なくない。社会派推理小説作家は時に社会を告発することもある。社会派でなくとも、例えば赤川次郎氏は安保法制や東京五輪などについてその問題性を発言している。 そういうミステリ作家の社会的発言も嬉しいが、このミステリという娯楽自体に私は素晴らしさを感ずる。 それにしてもこのミステリなるものは一体いつ作られたのか。 いやそもそも、ミステリという娯楽の無かった時代に初めてこれを発明した人物とは誰なのか。
ミステリ界の巨匠エラリー・クィーンによれば、「名探偵」の始祖は、シャーロック・ホームズやオーギュスト・デュパンではなくて、それよりももっと早く登場し、それはザディグであるという。 謎を合理的に解き明かす話を生み出すことが、いかに歴史的に卓越していることか。ミステリファンならずともわかるだろう。 しかしザディグ登場の18世紀は、自由にものが言えない時代でもあった。合理的思考の持ち主であるその創造主は現に二度も投獄されている。 風刺識を書いたことにより投獄されたのである。 それゆえ世界最古のミステリ作家は誰よりも「表現の自由」を求めた。だからこそ彼は余りにも著名な次の名言を残している。 「私はあなたの意見には反対だ。しかしあなたがその意見を言う自由は、私の命をかけても守る」 異なる意見にはまるでその表現の自由も与えないかのような昨今の風潮が余りにも寒々しい。 現実世界の愚かしさからひと時忘れるためにミステリを読みながら、改めて名探偵ザディグの創造主、即ちフランスの啓蒙思想家ヴォルテールに思いを馳せ、その精神を引き継いでいきたいと思うのである。