1. |
裁判員裁判において、次のようなケースをお考え下さい。
目撃証人は、(犯人の顔は見ていないために)法廷にいる被告人が、犯人であったかどうかは分かりません。しかし、犯人が①男であり②身長175センチ以上であり③左利きであり④あごひげを生やしており⑤右足を引きずって歩いており⑥逃げた車は黄色であったことは間違いないと証言しました。
検察官は、裁判員を前にして、次のように論告しました。 |
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「目撃証人の証言が信用できることは皆さんもおわかりでしょう。その証人が述べた『犯人の6つの特徴』のうち、ひとつ一つの確率はおよそ次の通りです。 |
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①
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男 |
1/2 |
② |
身長175センチ以上 |
1/5 |
③ |
左利き |
1/8 |
④ |
あごひげを生やしている者 |
1/50 |
⑤ |
右足を引きずって歩く者 |
1/100 |
⑥ |
黄色の車を持っている者 |
1/150 |
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この①から⑥までの全ての特徴を備える確率は、全部掛け合わせて、何と6千万分の1です。
これは、偶然では、全く起こりえない確率です。
さて皆さん。皆さんの目の前にいる被告人は、この①から⑥の全ての特徴を揃えています。偶然では起こりえない全ての特徴を、皆さんの目の前にいる被告人が備えているのです。それは、何故でしょうか。奇跡の偶然が起こったからではありません。この全ての特徴を揃えている被告人が、真犯人だからです」 |
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あなたは弁護人です。
裁判員に対して、この「検察官の誤り」(注1)を分かりやすく説明できるでしょうか。
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2. |
前項の事例は、アメリカの実在の事件「コリンズ裁判」をモデルとしたものである
(前項に挙げた特徴は、日本用に、私が勝手に変えたものであり、確率数値も私が勝手に作ったでものであるから正確ではない)。
このコリンズ裁判とは、今から実に44年前の、1964年に、米ロサンゼルスで生じた強盗事件の裁判をいう。この裁判では、目撃証人が、犯人の幾つかの特徴を述べ、それを検察官が統計学者を利用して、犯人の特徴の組み合わせは、偶然ではあり得ないように「確率・統計を誤信」させた。その結果、陪審員が「確率・統計」に騙されて、被告人を「有罪」としたという冤罪事件である(控訴審で無罪となる)。
アメリカでは、(陪審員たる市民が騙された「確率・統計」の事例という意味で)極めて有名な事件であるらしい(注2)。
「あるらしい」と書いたのは、私自身がアメリカ陪審制裁判の専門書で確かめたのではなく、アメリカの一般書(翻訳書)にいくつも書かれているという事実による。
一般市民が確率・統計に騙されやすいという例はいくつもあるが(注3)、このコリンズ裁判はその一つである。
コリンズ裁判に見る、「検察官の誤り」はどこにあるのであろうか。
幾つかの「特徴」があるとき、その全ての「特徴」を有しているものの確率は、ひとつ一つの「特徴」が起こる確率を掛け合わせるということ自体は間違いない。
しかしそれはあくまで、犯人の「全ての特徴を有する」確率でしかない。
そのことと(全ての「特徴を有した」ものが)「真犯人である確率」は、別問題である。 このように、コリンズ・ケースは、「犯人の全ての特徴を有している確率」と、「そのような人物が犯人である確率」を混同しているところにある。
わかりやすく言えば、①から⑥まで、の特徴を有する者が、仮に「2人」いれば、被告人が真犯人である確率は、それだけで2分の1となるし、「100人」いれば、被告人が真犯人である確率は100分の1となる(注4)。
問題は、これを、どう分かりやすく裁判員に説明するかである。
「確率・統計」の苦手な人には、いくら分かりやすく説明しても、無理かもしれない。
コリンズ裁判は、その難しさを示している。
明らかに誤った「確率・統計」の前に、市民たる陪審員は見事に騙されたのである。
それ故に、アメリカでは「訴追者の誤謬」として、広く、その誤りが、一般書にも繰り返し指摘されているのである。
ちなみに、イギリスでは、陪審員を前にして、そもそもこういった統計学を駆使した弁論をする事自体を禁止しているらしい(注5)。
それくらい著名な「陥りやすい誤り」だということなのであろう。このように陪審制の国で広く知られている常識は、来るべき裁判員制度のもとにおける我々も当然知っていなければならない。 |
3. |
確率・統計の誤用などは日本の裁判ではおこりえない、と思われるかもしれない。
しかし、実際には、これまでも誤った主張はいくつもされている。
私自身も幾つか経験した。古くは、釜ヶ崎監視カメラ撤去訴訟で、被告大阪府は「釜ヶ崎は犯罪の発生率が高い」と主張した。成人男性単身者の多い釜ヶ崎の町を、赤ちゃん、子供、女性もたくさんいる他の町と比較するという単純な誤りを棟居快行教授が皮肉を持って指摘している(注6)。
しかも、こういう誤った主張は過去のことではない。現在の裁判においても、誤った主張は繰り返されている。
例えば、水俣病訴訟において、被告国は、今もなお、「確率・統計」の誤りを主張している(今もなお、といったのは、本来は、国・熊本県の行政責任を認めたという画期的な2004年10月15日最高裁判決があるにもかかわらず、その後提訴され、行政認定が争点となっている現在の裁判で、再び、従来と同じ主張をしているという意味である)。
詳細は省略するが、分かりやすく言えば、「病気でない者のうち、病気と診断された者の割合」と、「病気と診断された者のうち、病気で無かった者の割合」を混同させるという、実に初歩的な誤りである。
岡山大学の津田敏秀氏は疫学・統計学の専門家であるが、水俣病訴訟における国側の「単純な誤り」を指摘すると共に、その国の主張に対して「あまりにも単純でありふれた誤りなので、おそらく本人達もしくは第三者が故意に作り上げたものでないかと私は想像している」とまで断言しているのである(注7)。
「故意に作り上げた」かどうかは別として、無自覚なままに、誤った確率・統計の誤用がなされない保証はない。
それは裁判員裁判においても同じである。
そして、もしも、そういった誤用がされたら、弁護人としては、直ちに、そして分かりやすく裁判員にその誤りを指摘しなければならない。 |
4. |
「検察官の誤り」は、聞いてみれば何のことはない、初歩的な「騙しのテクニック」にすぎない。
しかも、予め、そういう「誤り」のあることを知っていれば、突然、検察官が誤用しても直ちに対応できるであろう。
そして、ひとつだけ、市民相手の、自分なりのわかりやすい説明パターンを作り上げておけば、それは全て応用ができる。
ジョン・A・パウロス教授によれば、基本は「AならB」と「BならA」の違いを区別することである、と述べている(注8)。
そして同教授は、コリンズ裁判の「検察官の誤り」もこの基本の変種であると述べたうえ、ピーター・ウェイソン教授の4枚のカードの実験を引用している。ウェイソン教授の実験は有名で色々な書物に引用されているのでご存じの方も少なくないであろう(注9)。
ウェイソン教授の実験の対象となった問題は次の通りである。 テーブルに4枚のカードがあり、どのカードも、一方の面は数字、反対側の面には文字が書かれている。当然、テーブルに置かれているときには、カードの上になっている面しか見えない。
今、テーブルに置かれた4枚のカードの表面に見えているのは次の通りである。 |
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[A][F][2][7] |
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問題はこうだ。
「カードの一方に母音が書いてあれば、裏には偶数が書いてある」という規則を確かめるため、めくらなければならないカードはどれか、特定しなさい。
(この実験をご存じでない方は、ここで、少しお考え下さい)
ウェイソン教授の実験に寄れば、多くの人が、[A]と[2]をひっくり返すという誤りを犯すという。
正解は[A]と[7]である。
裁判員制度においては、言ってみれば、これを分かりやすく説明する工夫がこれから求められるわけである。 ええっ、お前のこの論稿自体がわかりにくいですって・・・。
その通り、それくらい、人に対して分かりやすく説明をすることは難しいのである。 |
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(注1)表題に「訴追者の誤謬」としたのは、名著=ゲルト・ギーゲレンツァー「数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活」(早川書房)の翻訳に従った(同著195頁)。
「検事のパラドックス」と翻訳している著(ジョン・A・パウロス「数学者が新聞を読むと」飛鳥新社)もある。
私は、分かりやすく「検察官の誤り」がよいと思う。
(注2)本文で述べた通り、法曹界での著名な事件と書きながら、私自身は、法曹関係の専門書では全くその事実を確認していない。しかし、一般書(翻訳書)では、コリンズ裁判や「検察官の誤り」はいくつも紹介されていることから、逆に言えば、それくらい有名な(市民が騙されやすい)誤り、と言えよう。
前注の書物の他、最近の書物では、キース・デブリン/ゲーリー・ローデン「数学で犯罪を解決する」(ダイヤモンド社/2008年4月発行)にも、コリンズ裁判が詳しく紹介されている。
(注3)アメリカで水兵募集の際に「アメリカ水兵の死亡率は、ニューヨーク市民の死亡率よりも低く、アメリカ水兵は安全」と募集した誤りは、統計学の一般書によく例に出される。言うまでもなく、ニューヨーク市民にはお年寄りも多いが、アメリカ水兵は、屈強な若者ばかりである。この種の誤りは、驚くほど繰り返し用いられている。
(注4)実際はそれぞれの特徴が「独立」していない、という誤りもある。ひとつ一つの確率を掛け合わせて良いのは、それぞれの「特徴」がお互いに影響していないことが前提であり、この例では、④あごひげをはやすのは圧倒的に男であろうから、①の男の確率と、④のあごひげの確率を単純に掛け合わすのは誤りである。
(注5)コリン・ブルース「またまただまされたなワトスン君」(角川書店)302頁。
一見、単なるミステリ本のように見えるが侮れない書物である。
(注6)棟居快行「憲法フィールドノート」(日本評論社)他。同著9頁では、「犯罪だらけの特殊な地区」と言わんばかりの被告の主張に対して「1台ウン百万(?)のハイテク機器がよじ登れば手の届くところにあって、それでも盗まれもせず壊されもしないというのは、かなり平和ではないだろうか」と皮肉っている。
(注7)津田敏秀「医学者は公害事件で何をしてきたのか」(岩波書店)153頁。津田氏は関西水俣病訴訟の証人に立った学者であるが、裁判官は同氏の論説を理解できなかった。
(注8)我々は学生時代に「逆は真ならず」と繰り返し教わってきた。このことは、「逆も真」と誤る危険性が大きいことを物語っている。そのため「逆は真でない」事を分かりやすく説明する自分なりのスタイルを持っていることが強みとなる。
(注9)このウェイソン教授の実験は至る所で紹介されている。古くは「ビル・ゲイツの面接試験」(青土社)や、最近ではマッテオ・モッテルリーニ「経済は感情で動く」(紀伊国屋書店)など。ただ元々のウェイソン教授の実験がいつ行われたのかは書物によって違うので、はっきりしない。おそらく1960年代から70年代にかけて何度も行われたのではないかと推察される。いずれにせよ、コリンズ裁判であれ、このウェイソン教授の実験であれ、およそ40年前の出来事であり、少なくとも、現代の我々としては、その論理を十分に理解しておく必要がある。 |