大川法律事務所
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2012/11/21・大阪弁護士会・シンポジウムより ~監視カメラの問題点
1. 国民が抵抗感を失う中で、なぜ、監視カメラを問題とすべきなのか
 
(1)
 それは、人権・自由を脅かすからである。
 監視カメラで監視されているということ自体が、監視される人のプライバシー権を侵害するからである。
(2)  とはいえ、この人権・自由は近時理解されにくい。
 しかしそれはプライバシー権に限らず、近時、多くの人々は人権・自由に関心を少なくしている。
 実は監視カメラ問題に限らず、人権・自由を守るということに人々が大きな関心を持たないという、このこと自体が本当は大きな問題である。
 では何故、人々は人権・自由に関心をもたなくなったか。
 この問題は本日のテーマとは離れるが、
 
一つは教育である。これまでの日本の教育は「横並びの平等主義」は教えても、真に自由・人権を教えなかった。例えば、個人の自由な意見や発言を尊ぶ教育、即ち、自分の頭で考える教育をしていない。この教育無策が今日の状況を反映している。
更にはマスコミの影響である。いわゆるマスメディアへの見方や、メディア・リテラシー等を教えられず、結果として人々はマスコミに影響される。
 そして社会状況である。人は腹をへらしているときは、今日明日のことしか考えられない。生活におわれる格差社会の中では人々は目の前の問題を考えるのに精一杯である。 無論、多くの人々は閉塞感を感じながら、それを打ち破りたいとも思っている。しかし、そのことと、自由・人権を守ることがリンクしない。
2. 中でも監視カメラに対する問題意識が低いことについて
 
(1)
安心・安全の必要性をうたわれると、それに反対する理由はない。
 多くの人は、犯罪をする側ではないから、犯罪被害に遭わないように、「安心安全」を願うのは極めて自然である。
(2) しかしそのときに何故監視される側の問題点を意識しないのか。
 
プライバシー権自体、他のシリアスな人権に比べると、一般にその権利の主体者であるとの意識が希薄になりがちである。生命・身体の自由や営業の自由に比べて、非常にわかりにくい。
 しかも、監視カメラの手法は、人権・自由を奪うことを被写体に意識させない技術である。
 かつて、釜が崎監視カメラ撤去訴訟で、「監視カメラは警官が見回るのと同じ」と反論されたことがある。
 では、警官が数人見ている(カメラの「録画機能」と対比させれば数人分でもまだ少ないかもしれない)状態が24時間常時続けばどう思うか。
 誰でも、イヤだなあと思うであろうし、こうなれば人権侵害を意識しよう。
 結局、高度な技術が、監視されていることを意識させないようにさせている。
 そもそも何故、釜が崎で監視カメラが発達したか。
 実は、西成署警察官とのトラブルを避けるため、釜ヶ崎労働者に「監視を意識させない」ところに主眼があったのである。
 まさしく、釜が崎監視カメラは「被写体に監視を意識させない監視」という意味で、監視カメラが何たるかという本質的目的を、端的に象徴していると言えよう。
3. 改めて監視カメラの何が問題か
 
(1)
 監視カメラは「防犯」には本質的には役に立たないことは今日では知られている。ハナから逮捕覚悟の無差別殺人などにはその実行を防げないし、そうでないケースでも監視カメラの無い地域に犯罪が移動するだけである、と言われている。
 その意味で、監視カメラは犯罪の「防犯」には本質的には役立たない。
 犯罪発生を未然に防ぐには、格差や貧困を無くすなど、大きな根本的な施策が必要であり、「監視」すればよいというものではない。
 一方、犯罪発生後の捜査に、一定程度役立つことは間違いないと言われている。
確かにそれはその通りであろう。しかし、事件発生後の捜査に多くの費用を使うのが本当に正しいのかどうかは別問題である。仮に、犯罪発生後の犯人逮捕にいくばくか役立つとしても、その「費用対効果」はきっちりと検証されているわけでない。
 しかも犯罪被害者の遺族にとっては、犯罪発生後の犯人逮捕よりも、犯罪発生を未然に防いでほしかった、というのが本心であろう。
(2)  また、警察の監視カメラは「任意捜査」の名のもとに一般法規以外の特別の根拠無く設置されている。言わば野放しである。
 更に問題なのは、監視カメラは「民間を下請け化」して何ら規制なく増大している。
 国民全員にGPS装置をつけるのがいきすぎであるのは誰もが理解してもらえようが、それと同様、監視カメラも近時のその性能に照らし合わせれば、目的に照らして極めてアンバランスであり、濫用(政府に対して反対する人への監視など)の危険が大きい。
(3) 大阪市カメラ設置補助金要綱は、目的を「犯罪発生抑止」と言いつつも、警察への情報提供を約束させた上、事業者の設置対象は、「コンビニ」「ガソリンスタンド」「駐車場」であり、あたかも、「人々の行動を追跡」するがごとくにも見える。
4. 背景の思想
 
(1)
 民間監視カメラ要請の現状は、暴排条例と同じ思想である。
 つまり国民を巻き込んで、「警察の下請け化」とする。
 補助金要綱もまずは暴力団規制をうたう。
 暴力団規制は、多くの人たちに抵抗無く受け入れられるキーワードである。
 しかし、釜が崎監視カメラは本質的には暴力団の犯罪抑止に使われなかった。
 このことを学ぶべきである。
(2)

 にもかかわらず、暴力団規制に名を借りた監視カメラの増大を無批判に許してここを野放しにすれば、次には暴力団ではなくて「前科者」、さらには「危険な人々」の監視を許容しよう。
 そしてそれが更に広がる危険性がある。

 その意味で、本シンポ直前の11/16の朝日・日経の新聞記事は極めて象徴的である。この2紙を見比べればそっくりである。無論、本文を正しく反映していれば問題はないのであるが実際は本文とは全く違う。
 即ち、本文記事と全く違うミスリードの「再犯(者)率、最悪の43%」との見出しを付けている。
 本文、あるいは記事の横に記載されたグラフを見ればわかるとおり、検挙者中再犯者は微減、初犯者は大幅減のため、相対的に再犯者検挙者率が増えて43%になったに過ぎない。従って、本文(グラフ)を正確に示せば見出しは「犯罪検挙者減少」となろう。しかし実際は、本文やグラフに示される事実に反して「再犯(者)率、最悪の43%」とあおっているのである。
 この見出しを見れば、一旦犯罪を犯したものは再び犯罪を犯すのか、と誰しも思うであろう。
 これは、性犯罪者監視の議論と相まって、前科者監視へと行きかねない。極めて危険なミスリードなのである。

5. 釜が崎監視カメラ撤去訴訟の問題意識
 
(1)
 当時も①釜が崎労働者と②周辺住民は、監視カメラに寛容であった(「何故、監視カメラに石をぶつけないのか」という若き日の棟居快行教授の過激なコメントもあった)。
 しかし、釜が崎合同労組委員長を始め活動家にとってみれば「我々を監視している」としか思えなかった。防犯カメラと言いながら、暴力団を本質的に摘発していないことを、彼らは実感していたからである。
(2)

 かくて、侵害される権利として、プライバシー権とともに、率直に「公権力から監視されない権利」と構築したのである。
「肖像権」ではとらえきれない「行動の監視」そのものを問題としたのである。

 尚、プライバシー権の棟居説(自己イメージコントロール権説)について。
 85年中曽根首相靖国公式参拝違憲訴訟は私が代理人として担当した事件であるが、そこにおいて、原告遺族は、「故人を『英霊』などと勝手に意味づけるな」として、「死者を意味づけされない権利」と構築した。
 棟居説は、当時の我々の議論の発想と共鳴を覚える。

6. 釜が崎監視カメラ撤去訴訟判決の評価
 
(1)
 この判決では、一般には、①公道でプライバシー権を認めたことと②監視カメラは任意捜査としつつも、いわゆる釜が崎監視カメラ訴訟大阪地裁判決「5要件」を定めたところが初めてであるとして評価されている。
(2)  しかし、弁護団としては、その点の評価はしつつも「任意捜査」とした点(従って一般法以外の根拠無くとも設置できるとした点)にまず不満が残る。
 この論理なら、本人の知らぬ間に,GPS装置を設置するに等しい状態を作り出すこと(本人所有のGPS機能付き携帯の利用など)も合法となりかねないおそれがある。
 また結局任意捜査としたが為に、14台は合法としたが、この点も大いに問題である。
(3) 尚、この判決は
①集団不法事案を対象とし(決して個人事件の捜査を対象としていない)
②録画は無い(我々は録画していると主張し、警察は録画していない、と主張していた)との前提であり、個人事件の捜査対象に録画も許したと解釈するのは全く誤りである。
7. 犯罪に関係しない目的でのカメラ設置をどう考えるか
   何ら法的規制の無い現状では(私的エリアは別として)一切認められない。
 開かれた領域の私的エリアも基本は同じである。
8. まとめ
   以上述べてきたことは、釜が崎のような監視カメラを念頭において述べたが、本シンポの契機となった「ムービング・アイ」もその問題点は全く同じである。
 さしあたり、日弁連の2012年2月発表の規制案を元に広く議論されるべきと考える。

(日弁連意見書は、日弁連ホームページでご覧ください)
 
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