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成果主義制度をめぐる判例の動向
1. はじめに
   成果主義については、その定義は必ずしも統一的な概念があるわけではなく、判例で問題にされたケースも種々の制度があるが、ここでは、広く労働の成果によって賃金が変動する制度を指す。今日、この成果主義の導入をめぐってその当否が論ぜられているところであり、昨今では成果主義への批判書がベストセラーにもなっている。そうはいいながらも現実には成果主義は次々と導入されている。
 我が国では、もともとはいわゆる年功型の賃金制度をとっていたところ、合理化その他の理由により、成果主義型に賃金制度を変更するところが増えてきた。その為、成果主義制度をめぐる争いも多く、裁判になったケースも多い。そして、裁判になった判例の争点は概ね次の2つに分かれる。
 即ち、[1]成果主義賃金制度への変更の有効性 [2]成果主義賃金制度が導入された後の運用の有効性である。
 どちらにせよ、裁判自体は、制度変更後の新たな賃金(従来より低賃金)に納得しえない労働者が、従来通りの賃金(或いは、労働者の平均的な賃金の支払)を求めて会社に対して裁判を起こすというものであり、その理由として [1]そもそも、成果主義賃金制度への変更自体が無効である(従って従来の賃金制度に基づいて賃金が支払われるべきである)という形をとるものと、[2]一応、成果主義賃金制度への変更自体は認めながらも、その制度の運用、つまり当該労働者にとって不当で恣意的な運用をされているとして、客観的・公平に運用された形の賃金を求めるという形をとるものの2つに分かれる(無論、裁判自体においてはその[1][2]両方を主張するケースもある)。
 従って、以下、判例を見るについては、[1][2]に分けて見ることとするが、[2]については従来からも、(成果主義でなくとも)問題とされており、本稿では簡単にふれることとする。
2. 成果主義への制度変更
 
1) 会社が行う賃金制度の変更は、就業規則の変更という形をとる。従って問題は、就業規則による変更の有効性ということになる。 なお、いうまでもないことだが、就業規則の変更をせずに、社長が一方的に「今日から我が社も成果主義をとる」などと宣言して、給与を変更しても無効であることはいうまでもない。
 又、制度の変更を労働組合との労働協約との改定という手法も考えられるが、協約を改定した労働組合の組合員には原則としてその変更の効力は及ぶが、改定しない別労組の組合員には及ばない。
 従って、多くの会社では、仮りに労働協約を改定しても、それだけに終わらず、全労働者にその効果を及ぼす為に、就業規則を変更するという手続をとる。
 それゆえ結局は就業規則の変更が有効かどうかという問題に帰着する。
2) まず一般論として、労働条件を就業規則によって変更することの有効性という問題がある。労働者にとって労働条件が有利に変更される場合は問題とならないことから、この問題は、「就業規則による労働条件不利益変更」の問題として知られている。 労働条件の不利益変更に対する判例の基本的な考え方は次の通りである。
 原則として「新たな就業規則の作成または変更によって、既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは…許されない」
 しかし「労働条件の集合的な処理、特にその画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該就業規則が合理的なものであるかぎり、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されない」。要するに、原則として労働条件の不利益変更は許されず、例外として合理性ある場合は許される、というものであり、これが、1968年12月25日に最高裁が言い渡した有名な秋北バス事件判決である。
 その後、最高裁は9つの判例を出しているがいずれもこの秋北バス事件判決の法理を維持しており考え方としては定着したと言えよう。
 もっとも問題は、その合理性の基準である。
 労働者の同意なくとも有効とされる労働条件の不利益の合理性の判断基準について、おおまかには7番目の最高裁判例(第4銀行事件判決)に至る最高裁判例などから次のような7項目があげられていた。

[1]労働者の不利益変更の程度
[2]変更の業務上の必要性の内容・程度
[3]変更内容の相当性
[4]代償措置・経過措置の有無(「間接的改善」という場合もある)
[5]労働者側との交渉経過
[6]多数組合の動向
[7]社会一般状況  この合理性の判断基準の7項目の比重は必ずしも明らかでないが、敢えていえば
[1][2][4][7]の比重が思いように思われる。
 更にその中身について、シリアスに判例を見れば[1]の不利益の程度は、その具体的不利益をどれだけリアルにみるかによって結論が変わる。[2]の業務上の必要性は比較的認められやすい。[4]については「合理性なし」という場合は「代償措置がない」とされ、「合理性あり」という場合は「間接的に改善された部分」があるというように用いられ、判断要素としてはその幅はかなり広い。[7]の社会状況は大きな要素でありかなり左右される、と言えよう。
 以上、「労働条件の不利益変更」一般について述べた。
3) 次に、労働条件の不利益変更問題のあてはめとして、成果主義制度の導入について判例はどう判断しているか。
 前項において、「労働条件不利益変更問題」一般を論じたが、そもそも、成果主義制度への変更が、前項までに述べた「不利益変更」問題なのか?という議論がある。学説の中には有力な反対説はあるが、判例はこれを「不利益変更」問題としている。妥当である。成果主義制度への導入は労働者にとって「不利益」であることは間違いない。即ち、給料が増える場合もある、という者もいるが、その場合は成果をあげる為に、より以上働いているのであり、決して有利な労働条件となったのではない。それ故この問題を「不利益変更」問題として扱うことは妥当である。
 そうすると次の問題は、この成果主義賃金制度への変更の有効性である。成果主義への制度変更が問題となった著名な判例は次の通りである(尚、勝訴・敗訴の別は労働者側から見たものである)。 [1]アーク証券事件(東京地判00・1・31)(一部勝訴)
[2]ハクスィテック事件(大阪地判00・2・28大阪高判01・8・30)
 (いずれも敗訴)
[3]県南交通事件(浦和地判01・2・16東高判03・2・6)
 (一部勝訴後、高裁で敗訴)
[4]キョーイクソフト事件(八王子判02・6・17東高判03・4・24)
 (いずれも勝訴)
[5]新富自動車事件(富山地判03・1・16)(敗訴)
[6]ノイズ研究所事件(川崎支判04・2・26)(一部勝訴)
[7]光和商事事件(大地判02・7・19)(本件の関係では敗訴)  紙面の関係上、個々の事案の説明と判決内容は省略する。
 前述(2)の7要素との関係で判例が何に比重をおいているかは、実際のところは不明としかいいようがないが、敢えて探ってみると次のようなことはいえる。
 労働側が勝ったのは前記判例[1][4][6]である。これについては、制度変更後の代償措置が不十分であって、労働者の不利益の程度が大きい事案であり、判決理由中、いずれもその点を指摘している。
 「代償措置その他関連する労働条件の改善がされておらず、或いは、既存の労働者の為に適切な経過措置が採られているともいえず、(略)労働者にここまで大きな犠牲を一方的に強いる」([1])
 「その内容は、賃金を高年齢層から低年齢層に再配分するものであり、控訴人らを含む高年齢層にのみ不利益を強いるものとなっており、総賃金コストの削減を図ったものではない上、これにより控訴人らの被る賃金面における不利益の程度は重大であり、これに対する代償措置も十分なものではなく」([4])
 「その目的に沿った給与の原資は、原告らを含む一部労働者の犠牲のもとに調達され(略)(一方原告らへの)代償措置はいずれも不十分」([6])
 一方労働側が敗訴した判決は前記判例[2][3][5][7]であるが、いずれも制度導入の必要性について肯定的なのが特徴的である。
 この内、あまりにも著名なのは[2]の第一審判決であり、次のように絶賛している。
 「近時、我が国の企業についても、国際的な競争力を要求される時代となっており、労働生産性と結びつかない形の年功賃金制度は合理性を失い、労働生産性を重視し、能力、成果に基づく賃金制度をとる必要が高くなっていることは明白」
 尚、さすがに露骨すぎたのか、[2]の控訴審はこの部分は修正され表現は緩やかになっている。
4) 以上の判例を見ると次のような特徴がうかがえる。
 
(1) 制度導入の合理性の判断基準のあてはめが不明確である。
 即ち、どの判決も一般論としての手法(前述秋北バス事件判決以来の(2)の法理)を認めながら、どの要素をどうあてはめたのか、個々のあてはめは必ずしもはっきりしない。
(2) 前述7要件(要素)のうち、[2]制度変更の必要性については判例は比較的緩やかに認定している。
 例えば、労働側が勝った[4]にしても、理由中で
 「本件就業規則改定は、賃金制度を年功序列型から業績重視型に改め、従業員間の賃金格差を是正することを目的としてものであり、その経営上の必要性があったことを否定することまではできない」
 と述べている。
 つまり、裁判官は自らの給与体系は成果主義型でないにもかかわらず、なぜか、この制度の導入には寛容なのである。
(3) 7要件(要素)の内、[1]労働者の不利益の程度、[4]代償措置は重視されている。
 即ち、労働側の勝っているケースはいずれもこの点の重視して理由中に述べられていることは前述の通りであるが、労働側敗訴のケースでも、不利益変更の程度が大きくないことを指摘するなど、この要素が大きく考慮されていることはわかる。
5) 以上の判例に対する問題点は次の通りである。
 
(1) まず第一に7要素の組み合わせ、比重、その根拠を出来る限り明確にすべきである。
 いずれの判決も、秋北バス判決以来の判例法理を踏襲するといいながら、その合理性判断の基準があまりにも不明確である。
 この点については出来る限り明確にすべきである。
(2) 次に判例は、制度変更の必要性について、あまりにも寛大である。 今日、成果主義については、程々の批判が為されている。そのような状況下で、その導入の必要性を諸手を挙げて肯定されるとあっては労働側としては到底納得出来ない。
 制度の内容が、公正さを担保するものかどうか、という点はもちろんのこと、制度導入をなぜするのか、なぜしなければならないのか、そういったことを総合的に判断するのが「必要性」の有無と思われる。
 判例はこの点についてあまりにも容易に必要性を肯定しすぎである。
(3) 判例は、労働者の不利益の程度、代償措置の有無を重視しているが、そのこと自体は妥当である。
 しかしながら、そのことは反面、他の要素を軽視しているともいえる。労働者の多数意思の動向や、説明その他の手続を踏んだかどうかは重要である。
 とりわけ、成果主義導入は、従来の年功型では高収入となる高齢者層にとっての不利益が大きい。そうであればその不利益を受ける高齢者への説明や、高齢者層の納得が重要であり、単に労働者一般に対するものだけであってはならない。
 こういった点を判例はあまりに軽視している。
3. 成果主義制度の運用について
 
1) 前項までに成果主義導入の有効性について論じてきたが、導入後の制度の運用についても問題となる。即ち、制度が、公平、公正、客観的に運用されているのかどうかという点である。
 もっとも、これについては、成果主義制度でなくとも、降格や減給の問題は起こっており、或いは、能力主義型といわれる制度のように何らかの形で賃金に差を設ける制度のもとでも問題は生じており、そのような判例も多数存する。
 特に複数労働組合が並存する場合の組合差別としての、差別賃金・差別査定の事件はこれまでも多数存したところであるが、本稿では省略する。
2) 昨今成果主義の運用が問題となった近時の主な事件は次の通りである。

[1]マルマン事件(大阪地判00・5・8)(一部勝訴)
[2]渡島信用金庫事件(函館地判02・9・26)(一部勝訴)
[3]日本ドナルドソン青梅工場事件(八王子03・10・30
  東高判04・4・15)(一部勝訴)
[4]エーシーニールセン・コーポレーション事件(東地判04・3・31)(敗訴)
これらについても、事案の内容と判決の詳細は省略する。
[1]は、直接は解雇が争われた事件であるが、解雇直前の降格について就業規則上の降格要件のないことを理由に降格処分と無効としたもので、いわば当然である。
[2]は降格に伴う減額が争われた事件で、降格は、使用者の裁量の範囲内として有効としつつ、減額については就業規則の定めのないことから無効とした。
降格や配転自体は有効としつつ、それに伴う給料減額は無効とする判例は結構ある。
[3]は賃金制度変更後、配転、降格、減給となったことを争ったものであるが、減給について勝訴している。
減給については、全くの自由裁量でないと判決は指摘している。
[4]は、新人事制度の下の、目標管理制度の前提としての上司との面談を拒否した事案であり、制度の有効性を前提としてその仕組みに沿って行われた降格は有効とするという。そして、面談を拒否した以上、評価を「不合理ないし不公正であるということはできない」とした。
3) 制度の運用をめぐる事件については、制度のパターンがいくつもあり、一般的な傾向を探るのは難しい(前述の通り、組合差別をめぐる事件は多いが、その点は本稿では省略している)。
 敢えていえば次のような傾向がある。
 
(1) 制度そのものは肯定する。従って例えば目標管理制度が導入された企業ではその仕組み自体の不当性は疑われないし、評価基準が抽象的であってもよほどのことのない限り肯定する。
(2) 他方、全く(降格などの)基準がない場合は違法とする。
(3) 配転や降格といった経営側の人事権は広く裁量として認め、給与の減額の度合でチェックすればよい、という発想である。
4) 以上の判例に対する問題点は次の通りである。
 
(1) 制度そのものへの肯定傾向が強い。評価基準が抽象的であってもよいという判断などはその最たるものであって到底納得しえない。
 また目標管理制度が導入された会社において、目標設定の為の上司との面談に応じないことを、労働側の不利益に解するのは不当である(前記[4]のケース)。
 なぜなら、仮りに上司との面談に応じて、自らの目標を述べても、その目標が(会社から見て)低いものであれば目標として認められないのであり、結局は、「目標は会社が定める」ものなのである。
 つまり、労働者が何を言っても目標は会社が定めるのである。
 労働者が何を言っても目標は会社が決めるのであれば、上司との面談はなぜ必要か。これはあくまで、労働者が「自分で目標を定めた」と仮装する儀式なのである。
 つまり、人は「自分で目標を定めるとその目標に向かって頑張る」という心理を応用したもので、いいかえれば、「いかに効率よく人を働かせるか」という発想から生まれたものである。そうであれば[4]のケースで労働組合が上司との面談を拒否するのは労働側からすれば当然である(そして拒否しても、結局は勝手に「目標」は会社が決めるのであり、会社の査定に何ら不都合はない)。にもかかわらず、判例が面談拒否を労働側の不利益に評価するのは不当なのである。
(2) 判例が制度の仕組みについて会社に肯定的なのは前述の通りである。とはいえ判例は、いずれも一般論として「恣意的な運用は許されない」としている。しかし、現実には、就業規則に基準が明示されていないなど誰が見ても、明らかに恣意的な場合にしか救済しない。
 またそもそも、一般論として、使用者に評価権のあることを前提にしてその恣意的な運用を許されない、とするのではなく、そもそも、評価の段階で、使用者は、労働者に対して、公正評価(査定)義務を負っているということを宣言すべきであろう。
 ちなみに、成果主義の推進者とされる土田道夫同大教授にしてからが労働側が敗訴した前記2.(3)[2]のハクスィテック事件の制度は公正性・客観性に問題があると指摘していることは注目される。
(3) 判例は、また、給料減額のところでさえチェックすればよいとして、配転や、降格については経営側の裁量権を広く認める。
 しかし、労働者にとって生活していく上で重要なのは単に給料だけではない。
 働く場所や、地位そのものも、労働者にとって重要なのである。従って、人事権について経営側の裁量権を広く認めること自体が問題なのである。
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