1. |
はじめに |
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死刑制度を認めるべきか否かは、古くからの大問題であるが、今、二つの観点から改めて問題となっている。
ひとつは政権交代である。自公政権から3党連立政権となり新らしく法務大臣に就任した千葉景子大臣はかねてからの死刑廃止論者である。現に大臣就任以来、本原稿執筆時点の3月26日現在まで死刑は執行されていない。
もう一つ、死刑を考える契機となるのは昨年5月から始まった裁判員裁判である。市民が参加するこの裁判員裁判は当初は争いのない事件であったが、その後少しずつ難件が審理されるようになり、いずれ死刑求刑事件が行われると言われている。そうであれば裁判員に選ばれた市民は、いつか死刑を宣告する判決に加わることになるかもしれず、このことは市民にとって大変な判断を迫られる大問題といえよう。
そこで、本稿で改めて死刑問題を考える。 |
2. |
日本の刑罰制度について |
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1) |
まず我が国の刑罰制度の種類について述べる。我が国における刑罰制度は、法律上、死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留、科料とされている(刑法9条)。
懲役とは服役中に定役(作業のこと)を行うものであり、定役のない禁固とはその点で異なるが、懲役には、期間を定めたもの(有期刑)と、そうでない「無期刑」の2種類がある。 そしてこの懲役刑の次に重い刑は、「死刑」である。即ち、日本には、死刑制度があり、刑法11条により、死刑は絞首刑の方法によって執行されることが定められている。
現在、日本には109人の死刑確定囚がいる(2010年1月現在)。
第二次大戦後、2009年12月までに死刑が確定した人の数は741人、死刑が執行された人の数は634人。このうち、1997年から2006年までの10年間で、死刑を執行された人の数は30人で、近年は、ほぼ年に2回のペースで、毎年平均3人が死刑を執行されていた。
ところが2007年は9人、2008年は15人とハイペースで執行されるに至った。これは自民党鳩山邦夫法務大臣の時代(2007年12月〜2008年10月)に2ヶ月毎に死刑を執行するというハイペースになったのであり、朝日新聞が鳩山大臣を「死に神」と表して、物議を醸したこともある。
しかし前述の通り2009年8月に民主党政権が誕生し、死刑廃止論者の千葉景子氏が法務大臣に就任したのちは「死刑」が執行されていない。 そこで改めて「死刑」が注目されている。
先に日本の刑罰制度について述べたが、特徴的なのは、「終身懲役刑」(仮出獄を認めず、終身拘束しておく制度)や「重無期懲役刑」(有期刑の上限を設けず加算していく有期刑。例えば懲役90年などというのも認める)を取っていないことにある。
そのため、生命刑である死刑と、仮出獄の認められる無期懲役刑との格差が大きいと指摘されている。即ち、無期懲役刑は、刑期10年経過後に「法律上は」仮出獄が可能になる為、その「懲役10年で仮出獄」と「死刑」を比較すればその差は大きいと言うのである。もっとも、実際には、無期懲役の受刑者が仮出獄が認められるまでの平均受刑期間は、2007年は「30年10月」、2008年は「28年10月」であり、さらに、獄死する無期懲役者も実際は多いのであり、一般に想像されるほど、無期懲役者が早く釈放されているわけではない。 |
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3. |
死刑制度の是否に関する世論 |
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(1) |
日本の刑罰制度について述べたが、では「死刑」制度は認めるべきであろうか。
この死刑制度の存否については古くから議論されている。諸外国では廃止国の方が増えてきたが、我が国では前述の通り依然として存置されている。
日本の世論の動向は死刑制度「容認」といわれる。内閣府が5年に一度世論調査をしており、2005年2月公表の世論調査では、死刑制度を容認する人が初めて8割を超え、2010年2月公表の世論調査では「死刑やむなし」の回答が85.6%になった、という。
そして死刑がなくなれば凶悪犯罪が増えると、見る人は6割を占めており、2010年調査では、前回より2ポイント多い62.3%に上り、死刑による犯罪抑止力を期待する人たちが増えている、という。 |
(2) |
しかしこの世論調査には注意が必要である。
この世論調査は5年に1度行っているものであるが、その設問はこうである。
「死刑制度に関してこのような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか
(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである
(イ)場合によっては死刑もやむを得ない
(ウ)わからない、一概に言えない」
死刑容認が85%というのはこの(イ)を選択した人の割合である。
この設問の選択肢が、不公平なのは、死刑廃止は「どんな場合でも」と強い廃止派を念頭に置き、死刑制度存置派は「場合によっては」と色々な条件を含めた広い選択肢となっている。もしも公平に選択肢を設定するならば
(カ)どんな場合でも死刑制度は廃止すべきである
(キ)場合によっては死刑制度は廃止すべきである
(ク)どんな場合でも死刑制度は維持すべきである
(ケ)場合によっては死刑制度は維持すべきである
(コ)わからない、一概に言えない
とすべきであろう。
しかも、(ア)(イ)(ウ)の設問は、廃止と維持のみしか問うておらず、後記の通り日弁連が提唱している「停止説」は選択肢に含まれていない。
結局、確固たる意見を持ってないものは前記の(イ)を選択するであろう。内閣府のこの設問は、「死刑容認」を誘導する為の不公平な設問とも言えるのである。 |
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4. |
死刑制度の根拠について |
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死刑制度の根拠として述べられる主な要点を述べる。
㈰応報主義
「目には目を」という応報の考え方をもとに、死を与えた者は死をもって償うべきという考えを言う。しかしこれは、何故「死には死」なのかという理由は無く、単に「結論」を言っているだけである。冷静に考えれば、これは死刑制度の必要性の根拠とはなっていないのである。
㈪犯罪抑止効
死刑があるから犯罪防止に役立つと言う考えである。
先の内閣府の調査の通り、世論調査では根強い考えである。では本当に「死刑」によって犯罪抑止力があるのだろうか。実際には、現実に「死刑」もあり得る重大事件は発生している。つまりその事件については現に抑止力は無かったのである。
無論、現実に発生しなかった「未着手」の犯罪もあろう。しかしその思いとどまった理由が、日本の刑罰に「死刑」があるために思いとどまったといえて初めて「抑止力」があったと言えようが、残念ながらそのような検証はなされていない。むしろ、1989年の国連報告では「抑止力は科学的に証明できなかった」とされている。実際、抑止効を証明するには、統計的に比較するしかないが、死刑制度の有無以外の条件を同じくして比較するのは事実上困難である。しかしそれでも、死刑を廃止した国の「廃止前」「廃止後」の比較など、統計的に実証しようとしての結果であり、その意味では「抑止力は科学的に証明できなかった」と考えるのが常識的である。
むしろ、このような死刑に抑止効があるとの考えに基づいて、死刑制度の存続に安住して、犯罪発生要因の研究、防止の努力がなおざりにされがちであることが問題と言えよう。
㈫処罰感情
「加害者に極刑を望む」という遺族感情を根拠とする考えである。
遺族の悔しい思いは何人も否定出来ない。その遺族感情自体は最大限配慮すべきであろう。遺族のケアや遺族の被害回復には、国は最大限の努力をすべきであろう。しかし、そのことと刑罰制度としての「死刑」の是非は別問題である。そもそも遺族の「感情」といっても様々である。加害者の死刑執行で本当に遺族の無念が晴らされるのかどうか。「犯人が死刑になっても死者は帰ってこない。ならば生きて償え」という遺族もいるであろう。そうであれば遺族の色々な「感情」を一くくりにして、それを制度の根拠としうるのはとうてい正しいとはいえないであろう。むしろ、被害者救済とは何かに議論を尽くすべきであろう。
㈬生命の尊重
人の生命は、何よりも最大限尊重されねばならない。その「生命」の尊重故に、他人の「生命」を奪う事件では極刑足るべし、という考えである。
しかし「人の生命」は最大限尊重すべしと言うのであれば、その国家自らが、最大限尊重されるべし「生命」を奪うのはいかなる理由があれ矛盾であると言えよう。まさに「生命」の尊重の故に「死刑」は許されてはならないのである。 |
5. |
世界の趨勢と国際人権 |
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先に日本の世論調査について述べたが、世界の趨勢はどうであろうか。
実は、世界の趨勢は、日本とは逆であり、死刑廃止へと向かっているのであり、その統計的数字は、下記の通りである(アムネスティ・インターナショナルの調査による)。いわゆる先進国は軒並み死刑制度を廃止しており、主要な国で、死刑を存置しているのは、アメリカ、中国くらいである。
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死刑廃止国と死刑存置国 |
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1980年 |
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死刑存置国
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128か国 |
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死刑廃止国 |
37か国 |
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1990年 |
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死刑存置国 |
96か国 |
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死刑廃止国 |
80か国 |
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2009年11月 |
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死刑存置国 |
58か国 |
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死刑廃止国 |
139か国 |
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あらゆる犯罪に死刑を廃止している国 |
95か国 |
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通常の犯罪に死刑を廃止している国 |
9か国 |
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事実上の死刑廃止国 |
35か国 |
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また「人権」の観点からも、国家が「死刑」を行うのは残酷であり、人権侵害であるというのが世界の潮流である。
1989年12月、国連総会において、「市民的及び政治的権利に関する国際人権規約」(自由権規約)の第二選択議定書が採択され、1991年4月に発効した。これが、いわゆる「死刑廃止条約」である。世界の趨勢は死刑廃止の流れと言えよう。
しかし、日本は自由権規約は批准しているが、死刑廃止条約については批准しない状態が今なお続いている。
一方、日本が批准している自由権規約の実施状況を審査した結果として、2008年10月に、国連人権規約委員会は日本政府に総括所見を示し、その中で、死刑の廃止を前向きに検討するように求めている。 |
6, |
日弁連の立場 |
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日本弁護士連合会(日弁連)は、2002年11月、「死刑制度問題に関する提言」を発表した。弁護士会は強制加入団体であり、様々な思想信条を有する弁護士が加入している。その弁護士会で、長年にわたる議論の結果、ようやくたどり着いた提言である。 その内容は、 |
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(1) |
日弁連は、死刑制度の存廃につき国民的議論を尽くし、また死刑制度に関する改善を行うまでの一定期間、死刑確定者に対する死刑の執行を停止する旨の時限立法(死刑執行停止法)の制定を提唱する。 |
(2) |
日弁連は、死刑制度に関して、下記の取り組みを推進する。
㈰死刑に関する刑事司法制度の改善
㈪死刑存廃論議についての会内論議の活性化と国民的論議の提起
㈫死刑に関する情報開示の実現
㈬死刑に代わる最高刑についての提言
㈭犯罪被害者・遺族に対する支援・被害回復・権利の確立等
というものである。
また、2004年10月8日の人権大会において日弁連は次の通り決議した。
死刑制度そのものについて見れば、死刑を廃止したヨーロッパ諸国をはじめ世界の6割の国と地域が死刑を法律上あるいは事実上廃止し、死刑廃止は国際的な潮流となっており、この流れは、アジアにも及んでいる。かかる状況下において、わが国においても死刑制度の存廃について、早急に広範な議論を行う必要がある。
よって、当連合会は、日本政府及び国会に対し、以下の施策を実行することを求める。
㈰死刑確定者に対する死刑の執行を停止する旨の時限立法(死刑執行停止法)を制定すること。
㈪死刑執行の基準、手続、方法など死刑制度に関する情報を広く公開すること。
㈫死刑制度の問題点の改善と死刑制度の存廃について国民的な議論を行うため、検討機関として、衆参両院に死刑問題に関する調査会を設置すること。
前記の通り、日弁連は、現在「死刑執行を停止すべき」との立場である。
この死刑執行停止説は学者の支持もある(福田雅章一橋大教授)。福田教授によれば、通常刑の執行は、㈰即時執行力の原則、㈪検察官の専権の原則があるとされるが、死刑だけは㈰及び㈪の例外で法務大臣の命令が必要となっていることに着目し、これは、法務大臣の高度な人道的判断に委ねられていると解せられるところ、国連を中心とする国際社会の死刑廃止へ向けての強い要請等に見るなら、現代においては、死刑執行停止義務を法務大臣は負っているとするものである。
日弁連は、以前、「終身懲役刑」、「重無期懲役刑」の設置等と引き換えに死刑制度の廃止を提案しようとしたが、日弁連内で意見が統一できず、現在では、この停止説に落ち着いたものである。
前述の通り、世界の趨勢、国際人権の観点からは「死刑制度廃止」が趨勢であるが、法律家専門集団である、日弁連ですら世界の趨勢たる廃止説に統一できないところに、日本におけるこの問題の難しさがみてとれる。 |
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7, |
今、一度考えてみよう |
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人の「生命」を奪うことはいかなる理由があろうとも「残酷」なことである。
また死刑廃止に流れる世界の趨勢については述べた。
にもかかわらず日本では、死刑制度維持が多数である。しかし、その多数とされる内閣府の世論調査のインチキ(死刑存置に誘導しているとしか思えない設問の仕方)については既に述べた。
加えてそもそも、我が国の市民が「死刑」についてどれほど知らされているかと言う問題がある。死刑対象事件の内容、実際の死刑の執行の現実、死刑に抑止力があるか否かの検証その他、死刑制度の有無を考える資料が何ら与えられていないのが現実である。その中ではとうていまともに判断し得ないであろう。
だからこそ日弁連は「停止」して考えようと提言しているわけである。
私自身は死刑は廃止すべきと考えている。先述の通り(4項)死刑制度を裏付ける根拠は無い。
何よりも重要なのは「誤判」の危険である。足利事件において17年獄中にあった菅家さんの逆転無罪判決が言い渡されたが、このような誤判は常に存する。無論、冤罪はあってはならない。冤罪を防ぐ為に全力を上げるべきである。しかし「誤判の危険」は常にある。ならば、「死刑執行」してしまえば取り返しがつかない。この意味からも、死刑は廃止すべきである。
私はこのように考えているが、色々な意見があるでしょう。
だからこそ、今一度、死刑の執行を停止して、考えてみる必要があるのではないだろうか。
あなたが、裁判員に選ばれて、死刑事件に直面したときのことを想像し、今から、是非考えて頂きたいものである。 |
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(参考文献)
アムネスティ・インターナショナル日本支部編著「知っていますか? 死刑と人権 一問一答」(解放出版社) |
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以上 |