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公健法の解釈について |
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上告受理申立理由のひとつは、「公健法の解釈」にあるが、その解釈にあたっては決して複雑に考えるべきではない。 |
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公健法の認定要件のひとつは、指定疾病(即ち「水俣病」)にかかっていることである。
この判断の前提として、「水俣病とは何か」ということが問題となるが、公健法という法律自体は「水俣病」の定義をおいているわけではない。
そうであれば、「水俣病とは何か」という問題は、公健法の解釈問題であると同時に、公健法が「水俣病とは何か」と規定していないということ自体が重要である。即ち、法律が水俣病の定義をおいていないこと自体が、わざわざ定義する必要もない事を意味している。つまり、それは社会的に認められているところの「水俣病」と同じであることを物語っているのである。
従って、本件訴訟に先立つ関西訴訟(損害賠償請求訴訟)の2004年最高裁判決において、上告人が「水俣病」と認められた以上、それは公健法上の「水俣病」でもあるといえるのである。
尚、このように主張すれば、被上告人熊本県は、これまでくり返し「法律が違えば判断要件や判断方法が異なる」と反論してきた。実は、我々も、法律によって要件・方法が異なるということ自体は否定していない。
しかし、我々がのべているのは、要件・方法は違っても「水俣病」の概念は同じだろう、と言っているのである。
例えば、工事現場の「屋根から落ちた」という労災事故で労災補償保険法の労災認定をうけたあと、上積み補償を求めて使用者に損害賠償請求することはよくあることである。この場合、労災補償保険法と損害賠償法では、判断要件も判断方法も異なる。当たり前の話である。しかし、「屋根から落ちた」という概念自体は変わらない。同様に「水俣病」の概念もかわらないのである。
ちなみに、公健法と損害賠償法の判断要件、判断手法の違いに即して言えば、損害賠償法の方が要件も付加され(違法性など)立証の難度も高いことから、損害賠償法の方が狭いのであり、同法で「水俣病」と認められて救済されれば、当然に公健法上も「水俣病」として救済されるべきでなのである。 |
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次に「水俣病にかかっているかどうか」という問題をどう見るか。
これは、言いかえれば、公健法の認定要件(のひとつ)にあてはまるかどうかという問題であり、「事実認定」の問題である。
その事実認定は、医学的研究の成果に応じた医学的知見を踏まえるものではあるけれども、最終的には、法律の趣旨・目的に照らして判断する社会的事実(としての水俣病)の認定の問題であり、専ら医学的判断に委ねるというものではない。被上告人熊本県は、法が認定審査会の意見を聞く、としていることをことさらに強調するが、事実認定の問題であることをかえるものではない。 |
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2. |
認定審査会の審査 |
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認定基準の問題点と認定審査会のあり方の問題点については、これまでくり返し述べたところである。
問題があるにもかかわらず認定基準と認定審査会の審査に意味を見出すとすれば、それはただひとつ、「認定基準に該当するとして、認定審査会が認定すれば、それは公健法上の水俣病と認定される」という点でのみ、意味をもつ。しかしこれは「逆は真ならず」であって、「認定されなかった」からといって、「公健法上の水俣病ではない」とはならない。これは本件第1審判決のとる立場であり、正しいものである。
公健法は迅速な公害被害者の救済を目指している。認定基準は、迅速な救済の実現の為に、画一的な基準を設けたに過ぎない。 |
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公健法と原子炉等規制法 |
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原判決は、伊方原発訴訟最高裁判決を引用しているが(判決文182頁)、誤りである。原子炉規制法と公健法とは法の目的・趣旨は異にしている。そして行政の裁量をどの程度認めるかは、行政実体法規により異なるものであり、生活保護老齢加算廃止事件により最高裁判決もその旨示している。
公健法は救済法であり、原子炉等規制法は、規制法である。しかも、国策に基づく原子力施設の設置は極めて政策的なものである。伊方では基準をたてるのは安全委員会であるが、公健法における52年判断基準の性格が原子炉等規制法による場合とは異なり、熊本の認定審査会が同基準をたてたわけではない。また原子炉に関する高度の科学技術水準に関する専門技術性と本件水俣病に関する医学的知見は同視できない。水俣病の鑑別は難しいものではない。この点は補充書でのべてきた通りである。 |
4. |
司法審査のあり方 |
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本件のような公健法の認定に対する司法審査のあり方は、学説が分類するところの、いわゆる「判断代置型」である。つまり司法が、行政と同じ立場で一から判断するものであり、行政を一番厳しくチェックするものである。
司法審査のあり方には、他にも、「最小限型」(行政の裁量を広く認め、行政に裁量権の濫用があった場合にチェックするというもの)や「考慮事項型」(行政の一連の手続きの中で欠くことの出来ない重要な事項を考慮しているかどうかをチェックするという立場)などがあるが、いずれも迅速に被害救済を図るという公健法の趣旨からしてとりえない。
公害被害者の救済を図るという公健法の趣旨からして、「救済するか、救済しないか」という判断は、行政に委ねられるというような「行政裁量」はない。
公健法の趣旨・目的から救済すべきものは、司法が代置して判断すべきなのである。その意味では、公健法の認定に対する司法審査のあり方は、むしろ労災補償保険法と同じと考えられる。
この点は、これまでも主張した。
「有機水銀曝露」による発症(公健法上の認定)
「過重業務」による発症(労災法上の認定)
この両者の枠組みは、基本的に同じであろう。
行政の定める認定基準はあくまで迅速性・画一性のためにそれに該当すれば認定されるというだけであり裁判所がそれ以外の例外を否定する趣旨ではない。
例えば、労災補償保険法の、過労死基準ひとつとってみても、行政の定める認定基準はそれはそれとして意味をもちながら裁判所がその認定基準からはずれる被害者も救済してきた。
これは歴然たる事実である。 |
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2) |
人権救済の最後の砦たる最高裁が公健法の司法審査に対してもその名にふさわしい救済をはかられるよう求めるものである。 |
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